[データ]
[監督] 黒澤明
[原作] 芥川龍之介
[脚本] 黒澤明 / 橋本忍
[撮影] 宮川一夫
[音楽] 早坂文雄
[出演] 三船敏郎、京マチ子、志村喬、森雅之、千秋実、上田吉二郎、本間文子、加東大介
[評価] ★★★★☆
[あらすじ]
平安時代、京。朽ち果てた羅生門。検非違使所からの帰り道、みすぼらしい姿をした法師と木こりが雨宿りをしていたところ、一人の下人が駆け込んでくる。法師は言う。今日のような恐ろしい話しははじめてだ、と。下人が事情を聞くと、今度は木こりが話し出す。三日前、山へ薪切りに行ったところ、死体を見つけ役人に知らせたのだ、と。死んでいた男は、法師が以前見かけたことのある侍だった。そして、検非違使所で体験したのふしぎな出来事を、二人は話し始める。
検非違使所の白州。二人が控えている中、検非違使の前に引き出されてきたのは、洛中を騒がしていた盗賊・多襄丸。三日前の午後、多襄丸の目の前を、一人の侍と芦下の馬に乗った妻が通りがかった。女に興味を抱いた多襄丸は、夫の侍を騙して連れ出すと縛り上げ、気にくくりつけてしまう。取って返し、今度は女を侍の前に連れて来て手ごめに。すると女は、どちらかに死んでほしい、生き残った方に添い遂げる、と言い出す。そして多襄丸は侍と対決して勝利する。が、女は逃げてしまったと言う。
次に連れてこられたのは襲われた妻だった。しかし女は、盗賊とは違う話をはじめる。多襄丸は自分を手ごめにしたあと去って行き、夫に許しを請うも蔑みのまなざしでにらまれ、ついには耐え切れずに短刀を夫に突き刺してしまった、と言うのだ。
次には巫女が呼ばれ、殺された侍の霊が降ろされる。すると侍の霊は、また違う話をはじめる。手ごめにされた妻が多襄丸に心を移したのを見て悲嘆し、自害したのだ、と。誰の話が真実なのか。しかし、実はもうひとり、一部始終を見ていた男が、そこにいた ・・・。
[コメント]
原作は芥川龍之介の「藪の中」。難解作であり問題作。未だその真相は不明だそうです。文学史上の謎と言うのは大げさでしょうか。が、本作では真実を木こりに求めているようにも思えます。それでも下人は疑います。人間は自分に都合のいい話を本当と信じてしまうのだ、と。原作ではまさに藪の中に消えていく真実ですが、映画では物語最後のうそが下人によって暴かれ、深い余韻を残しつつ分りやすさを創出したかたちをとっています。原作キラー・黒澤明監督ならではの見事なアレンジではないでしょうか。
打ち続く飢饉や戦、盗賊の横行で荒れ果てた京。羅生門に雨宿りをする三人の男。物語はこの三人の口から語られます。事件は三日前。盗賊・多襄丸が通りがかった侍の妻に惹かれたことから始まります。多襄丸は夫を縛りつけ妻を手ごめにしようとします。が、多襄丸は女の蒼ざめた顔を見ると残酷な心がもたげてくるのです。そして女を夫の目の前で犯すという暴挙に及びます。その後、侍は多襄丸と対決して果てたのです。
ところが、女の話は違っていました。多襄丸は自分を犯すと去り、夫に許しを請うと夫は怒りでも悲しみでもない、さげすみの冷たい光を向けてくる、と。そのまなざしに耐えられなくなり、気付かぬうちに夫を刺してしまった、と。しかし、巫女が降ろした侍の霊は、妻は犯されつつも多襄丸に惹かれ、ついには夫を殺すように叫んだというのです。しかし多襄丸は逆に侍に女を殺すかと聞いてきます。その時、侍は、盗人の罪を許すとまで思ったと言います。逃げだす女を追う多襄丸。しかし侍は妻の行為を嘆き、短刀を胸に突き刺したのです。
物語は、人間が持つ悪の部分、あるいはエゴイズムがどんな人間にもあるのだという点を浮き彫りにします。それがふとしたきっかけで一瞬にしてよぎり、人間そのものを変貌させてゆく様が登場人物の姿を借りて描かれているのです。藪の中の出来事の唯一の真実は、人間の恐ろしさ、あるいは人間という存在のあいまいさにある、と言えるのでしょう。
しかしここで、三人ともうそを言っている、と木こりが言いはじめます。最後の話は、ひそかに始終を見ていたこの木こりから語られることになるのです。それは、女が、二人の男を戦わせるという恐ろしい話。その二人の無様な戦いぶりは、これまでの勇ましい話とは程遠い姿。これにより、出来事の真実を暗に物語ることになるのです。そして最後、羅生門に捨てられた赤子。非情にもその着物をはぎ、何が悪い、とうそぶいて去っていく下人。法師は言います。人が信じられなくなったらこの世は地獄だ、と。貧しい木こりが赤子を引き取ってゆき、人の心には善や希望もあるのだという救いを描いて物語は幕を閉じます。
この妖しくも不思議な物語の本質は "求めるべき真実" にあるわけではないのだろうと思います。真実を勝手につくり出していく人間の心の醜さを描いたもので、その表現は多分に感覚的です。映像化でも払拭しきれていない難解さは、そんなところに起因しているのでしょう。また、飢饉や盗賊の横行といった時代背景、善悪の境のあいまいさ、極まるエゴイズム、つまりは人間そのものの原罪をも描こうとしたことで複雑さを増した事実は否めません。が、いずれも深いテーマ。名作には違いはありませんが、文芸臭の強さは玉に瑕。見る人を選ぶ、というマイナー色はどうしてもつきまといます。
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