[データ]
[監督] 黒澤明
[脚本] 橋本忍、小国英雄、黒澤明
[撮影] 中井朝一
[音楽] 早坂文雄
[出演] 三船敏郎、志村喬、千秋実、清水将夫、三好栄子、青山京子、東郷晴子、千石規子、根岸明美、太刀川洋一、上田吉二郎、東野英治郎、佐田豊、藤原釜足
[評価] ★★★☆☆
[あらすじ]
歯科医・原田は医師会からの要請で東京家庭裁判所の調停員を任せられていた。ある時、家裁に呼ばれていくと、ちょうど当事者同士が言い争っているところだった。家裁の荒木から共に調停に携わる弁護士会の堀を紹介され、早速申立の内容を聞くことになる。
申立は中島を鉄工所を営む中島喜一の妻・とよからのもので、喜一を準禁治産者にしてほしいとのものだった。しかし、とよよりも強く訴えていたのは喜一の子供たち、一郎、二郎、よしとその家族であった。喜一は水爆に対する被害妄想が激しく、放射能を避けるためと称して秋田に土地を購入。地下シェルターを作り始めたのだが、秋田も危険だと悟ると工事を中止。今度は南米が安全だと言い始め、近親者を連れて移民する準備を進めているのだという。家族はこれ以上の無駄な散財を恐れて申立をしたのだった。
原田たちは話し合いの間計画を進めないよう喜一を諭すが、喜一はブラジルで成功した日本人移民の老人と接触。土地購入の交渉を進める。その間、喜一が面倒を見ている二人の妾と、亡くなった妾の子にも南米行きを告げるが、彼らも内心は反対だ。一方原田は、喜一の言い分を聞いているうちに水爆の恐怖を実感し始めていた。しかし荒木と堀は、家族の申立を認める以外にないと判断。ところが、それでも喜一はあきらめず、禁じられている家の財産を持ち出し、ブラジルの老人に手付けを払いに行ってしまう ・・・。
[コメント]
核兵器の恐怖を描いた作品には、晩年の「八月の狂詩曲(ラプソディー)」があります。本作と共通している点が多く、主人公が現実を失うというラストも同様。(核兵器の恐怖の前には)狂人となった方が幸福である、とは主人公・喜一の息子が放った言葉。それは諧謔を込めたせりふでしたが、裏を返せば、それが真理ではないか? と、問いかけているようでもあります。物語にはこのような強烈なペシミズムさえのぞかせています。
物語の主人公・喜一老人(三船敏郎)は水爆による放射能を恐れ、家族の反対を無視して、南米への移住計画を進めます。しかし家族は家庭裁判所に準禁治産者の申立を行い、これを阻止しようとするのです。物語は、表面上は老人の狂気を描きつつ、真の狂気とは何かを浮き立たせていきます。作中舌っ足らずになっていますが、禁治産者、準禁治産者とは法律用語。これが裁判所から認定された者は自分の財産を自由に処分できなくなります。それぞれ、保佐人、後見人が指定され、財産が管理されることになり、本作の家族同士の争いや葛藤の一因ともなっています。
一方、喜一を捌いた家庭裁判所の調停員・原田(志村喬)が陰の語りべとなっていて、実質本作の思想上の提議を行っています。その原田が喜一に影響を受け、息子に問うシーンがあります。原爆が怖いのになぜ落ち着いていられるのか、と。これは最後の精神科医の言葉に繋がります。狂っているのは老人ではなく正気のつもりでいる自分たちではないか、と。はたして狂気の本質はどこにあるのか? それを水爆という一点に象徴させますが、答えは決して出しません。見る者に答えを促しているのです。そして最後は、その老人が発狂し、太陽を地球が燃えていると叫ぶシーンで幕を閉じます。核戦争の状況を炎に包まれた太陽に象徴させるあたり、想像してみればかなりショッキングなイメージと言えます。
しかし物語は、喜一老人のエゴをも浮き彫りにします。喜一はブラジルの老人と土地の交換を約束。ブラジルの老人は喜一の身代わりである、と息子に指摘されます。また、家族を日本にいることをあきらめさせるために工場を焼いた時も、工員たちから、俺たちはどうする、と詰め寄られるのです。つまりは自分の家族が助かるために犠牲にしているものには、この老人は目をつむっているわけです。ここに、黒澤現代劇の暗さが如実に現れています。
喜一老人をめぐる物語の展開とは別に、核兵器の狂気という思想的な展開を物語は含みます。しかし、ペシミスティックな物語である上に、結論を出さないで終わっているところには強い閉塞感を印象付けています。一方、問題意識を見る者に喚起させる手法は「生きる」、「悪い奴ほどよく眠る」なども同様です。黒沢監督自身の思想を、直接表現によって押し付けるのではなく、問うことによって間接的に共感を求める点は誠に映画文化らしい主張の仕方ではないでしょうか。直感的には映画の暗澹さが目立ちますが、はたしてどこまで思想上の満足感を得られるか、そこが個々にとっての評価のポイントとなりそうです。
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